メールにかいま見る、送信者の性格。

1998年からインターネットを使いはじめて、仕事に関する依頼や確認、テキストや画像データの納品、印刷会社へのDTPデータ、各種の問い合わせなどは、現在ほとんどEメールで行っている。以前なら電話やファックスで伝えていた用件は、受け手の状況を気にしなくて良いので可能な限りメールで済ませ、緊急に伝えたい事と複雑な用件だけ電話をすることにしている。

仕事上のメールはできる限りわかりやすく、簡潔に、誤解を生じないように書くのが鉄則だろう。一見無味乾燥に思えるモニター上の言葉だが、これまで電話ではおぼろげながらしかわからなかった相手の性格が、案外はっきり現れることがある。

特に最近そう感じることが多く、メールの文章にはよほど注意をしなければと思っている。日頃からいい加減だなあ・・と思っている人のメールは、その文章にもいい加減さが凝縮されていることがある。受け手の名前を正確に入力していないことにはじまり、誤字、“てにをは”のない文章、内容と全く関係のないサブジェクト(件名)など、「ああ〜やっぱりこんな人なんだぁ」と再認識してしまう。
落語が趣味という人のメールには、駄洒落とか落ちが必ず入っていて“らしいなあ〜”と思うし、いつも元気な人は文章にも(!)エクスクラメーション・マークがいっぱいあって、こちらも元気になる。

少し前のことだが、仕事のやりとりをしているのにまるでけんかを売ってるとしか思えない不快な長文のメールを寄こす人がいた。何のために何を解決ようとしてこんな内容を送りつけてくるのだろう?とこちらは怒り心頭である。私も売られたけんかを買ってしまい、仕事の案件とは別次元で終着点のない無意味な論争をして、へとへとに疲れたことがあった。以前のように電話しかなければ、その人は電話をしてまでわざわざ言うべき内容ではないと思っただろう。一時の思い違いや怒りを手軽に書いて相手に送ると、もう取り返しがつかない。喋った言葉は消えても文章はずっと残る。私はその人の事実誤認の最悪のメールを今でも保存している。
もしも電話での打ち合わせであったら、多少カチンときたとしても基本的な確認事で仕事が流れ、その人の本質はわからなかっただろうと思う。メールだったからこそ短い期間の中で、一緒に仕事をすべき人ではなかったとはっきり悟ることができたのだった。

メールでの問い合わせがきても、伝えにくいニュアンスなら返信メールを出さず、即座に電話するというのは大事なことだ。東京にいるN氏にそのことを教わった。私が編集デザインに関連したある質問メールを送った直後、1分もたたないうちにN氏からの電話が鳴り、驚いたことがあった。N氏とは、共通の友人の紹介で何度かメールをやり取りしただけで特に親しいというわけでもなく、直接N氏の利害に関係する質問でもなかったのに「メールではわかりにくいから・・」と非常に丁寧な電話をくれたのだ。当然その質問の回答はメールでやり取りする何十倍もわかりやすく合理的だった。
お会いしたことはないが、メールの文章はいつも律儀で温かくかつ簡潔。かなりの人柄に違いないとひそかに思っていたのだが、電話を切った後で私は、その推測が正しかったと確信したのだった。
(2002.7.10)

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