言葉が気になる

人前でものごとを理路整然と話すのが苦手だ。
異業種のグループ討論や、仕事上のプレゼンでも、とっさに的確な表現ができずにもどかしく思うことが多い。大げさにでも過小にでもなくできる限り「正確に」伝えたいのだが、現実はそう上手くいかない。こんな説明で相手に真意が伝わっただろうか?といつも後から思ってしまう。

考えをまとめて文章化するのなら、感じた瞬間と思いを綴るまでのタイムラグがあるからまだいい。しかし話しをするときは、聞き手の反応や質問など情報を整理しながら、瞬時に言葉を選択し続けなければならない。なんというか、数十秒でこれまでやってきたことの全てを判定される短距離選手や水泳選手になったような気分になる。

中小企業家同友会の知り合いで、いろんな人の意見を即座に「つまり○○ということですね」とより正確な言葉に“一発変換”するのが巧い人がいるが、本当に羨ましい。

ところで最近わたしは、みんながよく使う「司会をやらせていただきます」という言い方をしないようにしている。作家の村上龍氏が“責任回避する言葉”と指摘していて、確かにそう思うので使わないことにした。(村上ファンでもあるからだけど)こういう表現は、「自分の本意ではないのですが、上からの命令で引き受けているんですよ。だからわたしには責任がありませんよ」

というニュアンスを含んでいると村上氏は言っている。20年前にはこんな言い回しはなかったらしい。

「○○?○○?」といちいち疑問符をつける言い方も、「○○みたいな〜」という言い方も、「わたしてきには」という言い方も、接客業の「○○で良かったですか」という言い方も、みな意味を曖昧にして断定を避けている。その曖昧さが人との関係を無難なものにするから普及したのだろうが、 なにか背筋がゾゾッとしてわたしは使いたくない。

当然だが、言葉はその人の人柄をあらわしている。以前サッカーの中田英寿選手が絶対に「頑張ります」とマスコミに言わないのは、「プロとして頑張るのは当たり前だから」と対談で言っていた。だから中田のインタビューはいつも淡々とやるべきことを語っている。あの若さで彼の言葉に対する意識の高さに驚く。いや、視点の違いというべきか。おそらくその両方・・。クールに他の選手と違う発言をする中田は、やっぱりすごいわ。

饒舌でなくてもいいから、仕事人としてできる限り適切な言葉で、聞く人の心に届く発言ができるようになりたいものだ。そうなるには、わたくしまだまだまだまだまだまだ・・修業が必要みたいです。
(2003.5.27)

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